新年 幸せな1年でありますように。

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

hygge2期目となります2023年がはじまりました。
昨年末には相馬市にて基礎が完成、今月には福島市の現場が完工を迎えようとしております。
大変ありがたい限りでございます。

『物価の高騰』『金利の上昇』ニュースでも結構出ていましたね。
事実として向き合っていかなければならないことは沢山あります。
しかし´´悪い´´報道は人の興味関心を引きやすい側面もあり、多少の数字稼ぎであることも。
世の中は止まっている瞬間など無い訳で、ポジティブ過ぎるかもしれませんが、流れている時代の一部として俯瞰できる心の余裕が必要な時であるのかもしれません。

弊社の年末年始の業務は、お見積りや図面帳の作成やファイリング、お打ち合わせ内容の整理などいつも通りに過ごさせていただきました。
もちろん初詣に行ったり、親戚のところへ御挨拶にまわらせていただいたりしました。

初詣をはじめとして、神様に祈ること、お願いをすることがあると思います。
私、お参りをさせていただく前に、少し変わったイメージトレーニングをすることがありまして・・・
それが´´自分がもし神様だったら´´というものです。

例えば願い事があるとして、
『投資が当たって(宝くじなど)不労所得で楽できますように。』
これは神様として応援して良いものなのか・・・
そこは自力で頑張ってくれと思ってしまいます。

『〇〇の資格を取らせて欲しいです。そして〇〇な人たちを助けられる人となって、貢献したいです。』
おっ、これは応援したいなと思えます。

『昨年も無病息災、ありがとうございました。本年も健康に過ごさせていただきます。』
そうでしたか。今後も見守っていきますよ。

神様はより具体的であり、世のため人のための願いを叶えてくださると教えていただいたことがあります。
現実でも他力本願な願いは、自身の成長につながる部分がありません。
誰かのためにどうありたいかという想いがあること、切に願っているからこその日々が結果的に願いを現実にしてくれるのだと。


『〇〇の資格を取ります。そして〇〇な人たちを助けられる人となって、貢献します。』
語尾を変えればそれは宣誓です。
本当に願っていることがあれば、人は行動します。
神に願うというよりも、神に誓うほどの想いのある人間であること、それが大事と思っています。

少し話は変わりますが、
幸せと不幸せの割合は50:50と言われることがあります。
良いことがあれば悪いこともある。
これも考え方一つと思っておりまして、
幸せって自分目線のことだと思っています。
『〇〇食べて幸せ。』
『〇〇に行けて幸せ。』
起こっていることに対して、自分が´´幸せ´´と感じれば幸せなんです。
逆に不幸とは、
自分に(関係すること)対して自分以外の何かが関連し良くないことが起こった状態であると思います。
どうしようもない不可避のものは仕方がありません。

何も起こっていないこの瞬間も、平和であることや不自由していないこと、健康であることに感謝すれば、幸せって50:50より増やせますよね。
幸せって主観なんです。
仕事があって幸せ、今日も家族が元気で幸せ、このブログを読んでくださる方がいるかもしれない幸せ、今あなたが思った感謝の気持ちで幸せの総量は増やせましたよ。

また、不幸せとは少し違いますが、以前のブログで幸せの半面で失うものもあることを書かせていただきました。
失うという表現に語弊があるかもしれませんが、誰かのために何かをすれば、自分の今を失うことは間違いありません。
我田引水(自己中心的な幸せ)は幸せとイコールではないと思っています。
お互いの幸せを願うのであれば、幸せを与えられる存在でなければなりません。
そのために少なくとも唯一消費するのが時間です。
例えばお客様のために何かをしたい、そうすればお客様に幸せをお届けすることが出来ます。

その時間や労力を不幸せと捉えるのであれば、幸せと不幸せは50:50の人生です。
目の前のお客様の笑顔を思って幸せな時間と思えるのであれば不幸は消えます。
幸せは主観です。小さなことでも「幸せと思うこと」によってより人生は豊かになると思います。


今、この瞬間に感謝します。
hyggeとは幸せになって頂くための建築です。

どうか皆様におかれましても幸せな一年でありますように。

hygge ~この家からはじまる かけがえのない暮らし~
代表 渡邊一紘


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